カスタムナイフメーカーたちとその歴史

カスタムナイフを製作する職人のことをカスタムナイフの「メーカー」と呼びます。

カスタムナイフはどんな職人たちによって作り出されてきて、現在も作られているのか、これから自分用のカスタムナイフを購入する、製作を依頼するという場合には気になる点ですよね。

以下にカスタムナイフの本場である海外と日本とに分けて、代表的なカスタムナイフメーカーを紹介していきます。

海外のカスタムナイフメーカー

ロバート・ウォルドーフ・ラブレス

1929年生まれ。ボブ・ラブレスまたはR.W.ラブレスとして知られている、アメリカ合衆国のナイフメーカー。アメリカのカスタムナイフの創始者であり、カスタムナイフ愛好家の間では「カスタムナイフの神様」と尊敬されている伝説的人物です。

最初のカスタムナイフは、アバクロンビー&フィッチ社で購入しようとした、ランドール社製のナイフが9か月待ちだったため、自動車のサスペンション(板バネ)を使って3週間で作ったものでした。
翌年、自作のナイフをアバクロンビー&フィッチ社に持ち込みしたところ評判になり、大量の注文を持ち掛けられた際に考案されたのが、後年主流となるストック&リムーバル法です。

また、他にもドロップポイントのデザインや、フルテーパードタング構造などを発明し、実用品であることを重視した数々のナイフを製作しました。
日本とも親交が深く、日本のカスタムナイフメーカー、相田義人氏はラブレス氏の弟子です。

ケン・オニオン

1963年生まれ。アメリカ合衆国のナイフメーカー。1991年にカスタムナイフメーカーのスタンレー・フジサカ氏から、ナイフ製作の基礎的な知識を学び、最初のナイフを作りました。

1996年には、スピードセーフと名付けたアシストオープン機構を発明し、カーショウ社と契約します。
スピードセーフは、フォールディングナイフが格納されている状態で、人差し指の位置にある突起を弾くだけで素早くブレードが飛び出すという、画期的なものでした。

この他にも、様々な道具に関する36件のデザイン特許を保有しています。その後はCRKT社やスパイダルコ社でナイフのデザインを担当しました。

また、2010年には自らの製造会社を設立しています。

ジミー・ライル

ジミー・ライル

1933年生まれ。アメリカ合衆国のナイフメーカー。11歳で初めてのカスタムナイフを製作し、高校教師、アメリカ陸軍、建設請負業者で働いたのち、1971年に専業のナイフメーカーになります。

ハリウッド俳優のシルベスター・スタローンに、映画「ランボー」とその続編「ランボー 怒りの脱出」で使用するために依頼されて作り出したサバイバルナイフで、一躍有名になりました。デザインしたサバイバルナイフは、映画の名前からとって「ランボーナイフ」と呼ばれ、シリーズのファンのみならず、カスタムナイフ愛好家からも愛されています。

ギル・ヒブン

1935年生まれ。カスタムナイフメーカーであり、合気道や柔道の黒帯を持つ武道家でもあります。ランボー3、4、スポーン、モータルコンバット、スタートレックシリーズ、エクスペンダブルズなどでナイフのデザインを担当。

1964年から専業のカスタムナイフメーカーとして活動をはじめ、カスタムナイフに440Cステンレス鋼を使用した、最初のカスタムナイフメーカーであるといわれています。

ジャック・クレイン

1946年生まれ。1980年からカスタムナイフメーカーとして活動を開始。
プレデター1、2、ダイハード1、2、コマンドー、デモリションマンなどでナイフのデザインを担当しています。

日本のカスタムナイフメーカー

佐治武士

1948年生まれ。福井県武生市(現在の越前市)出身。
越前市にある700年の歴史を持つブランド「越前打刃物」。
その越前打刃物の中でも代表的な鉈鍛冶「佐治打刃物」の三代目で、44歳のとき、当時日本最年少で伝統工芸士の認定を受けました。
福井県越前市にある、13社の刃物会社が集まる越前打刃物の共同工房、「タケフナイフビレッジ」に佐治打刃物も所属しており、鍛冶や作業の様子を無料で見学できます。

原幸治

1949年生まれ。佐賀県伊万里市出身。
1965年、岐阜県関市に移住し、ナイフメーカー「G・SAKAI」や包丁メーカーで23年間、製品開発に関わったのち、39歳で独立し、「ナイフハウス ハラ」を設立しました。
海外で数々の賞を受賞していて、中でも段々畑から着想を得た「エアステップ」と呼ばれる特徴的なハンドルデザインは、1998年にイーストコーストナイフショーでモスト・イノベイティブ賞を受賞しており、原幸治の代名詞であるとも言われています。

松田菊男

1952年生まれ。岐阜県関市出身。
本業はナイフ研削職人で、アメリカのメンズ向けポケットナイフ、アクセサリーのブランド「ウィリアム・ヘンリー」で、ブレードの研削を担当していました。
ブレードを貝のハマグリのような丸みのある「蛤刃(はまぐりば)」という形に仕上げる技法を得意とし、45歳のとき、関市の卓越技能賞を最年少で受賞しました。
海外でも評価が高く、2007年にアトランタブレードショーにてナイフブランド「SOG」とのカスタムコラボレーションがベストコラボレーション賞を受賞しています。

世界三大刃物産地、岐阜県関市

世界三大刃物産地、岐阜県関市
引用元:岐阜県刃物物産産業連合会ホームページ

カスタムナイフメーカーの紹介のなかでも何度か名前が挙がった「岐阜県関市」は、イギリスの「シェフィールド」、ドイツの「ゾーリンゲン」と共に「世界三大刃物産地」と呼ばれています。
そんな岐阜県関市の刃物産業は、鎌倉時代の1229年に、伯耆国檜原(現在の鳥取県)から刀匠、元重がやってきて、刀鍛冶を伝えたことが始まりと言われています。
炉に使う松炭や良質な土が豊富だったこともあり、南北朝時代には数々の名匠を輩出して町の刀鍛冶が発展しました。
江戸時代になり、戦争が終わって日本刀の需要が減ってからは、刀匠達が包丁やハサミなどの生活用品を手掛けるようになり、その流れが今に続いているのです。
現在では、関市のふるさと納税の返礼品としても数量限定ながらカスタムナイフが返礼品として用意されていたりもします。
なお、「日本三大刃物産地」としては「岐阜県関市」のほかに「大阪府堺市」、「新潟県三条市」が有名です。
カスタムナイフを購入する際には、実際に職人の町に赴いてみるのもいいのではないでしょうか。

まとめ

この記事を読んで、自分の目的に合ったカスタムナイフはどんな見た目で、どんな材質のものなのか、イメージが掴めましたでしょうか。

カスタムナイフの魅力を再確認し、自分の知らなかったカスタムナイフメーカーの歴史を知る場になったと思えたら幸いです。一言にカスタムナイフといっても沢山の種類、無数の組み合わせが存在しています。もしかすれば、知らなかった知識に触れて、こんな用途に使えるカスタムナイフがあったのか、考えていたものとはまた違うカスタムナイフが欲しくなった、と思った方もいるかもしれません。

カスタムナイフメーカーのラブレス氏も「ナイフは、人間が火の次に手に入れた道具である」との言葉を残しています。太古の昔から人間になくてはならない道具であったナイフを、この機会にぜひ手に入れてみて下さい。


「くれいも屋」は、エアガンモデルガンなどのミリタリーグッズを専門に買い取っているトイガン買取専門店です。もちろん、トイガン以外にナイフも取り扱っております。

当店にはミリタリー好きのスタッフが在籍しており、お客様の大切な思い出の品を丁寧に査定いたします。エアガンなどのミリタリーグッズの整理をお考えの際は、ぜひ「くれいも屋」にお任せください。

ナイフ買取価格表