【宅配買取】北海道函館市の無可動実銃買取実績|AKM 1970年トゥーラ造兵廠製 新加工品

AKM 無可動実銃 トップ画像

北海道函館市のお客様より、AKMの無可動実銃をお譲りいただきました、ありがとうございます。トリガー前部にスリットが入り、ボルトキャリアが開いた状態で固定された新加工品です。

AKM 無可動実銃 トリガー部
AKM 無可動実銃 ボルトキャリア

トゥーラの歴史

本銃が製造されたトゥーラ造兵廠(ツーラ兵器工廠)のあるトゥーラ州は、モスクワの南約160kmに位置する産業都市です。古くは小さな要塞でしたが、モスクワ大公国時代に整備され城塞都市化。タタールなどの南方の勢力の侵攻を防ぐ役割を与えられました。

16世紀頃から鍛冶屋を移住させ、刀剣類から銃などの兵器開発工場を集中させた伝統的な兵器産業の町でもあります。

当初は施設工場が林立する状態でしたが、1712年にピョートル大帝がトゥーラを訪れた際に、各工場を国営として取りまとめるなどして造兵廠が発足。1875年にアレクサンドル2世によって砲兵総局帝国トゥーラ兵器工場と命名されます。

こうした各時代の国策によってトゥーラは発展し、ヨーロッパ最大の鉄工業の町へと成長しました。

革命後にソ連となってからも引き続き銃器生産の拠点とされ、一方で地理的条件から第二次世界大戦(大祖国戦争)ではナチスドイツの攻撃目標ともなりました。しかしもともと要塞都市でもあったことで、攻撃を耐えきり、戦後には英雄都市の称号を受けています。

現代でも引き続きロシアの兵器生産の拠点として発展を続けており、クロコヴォ空軍基地など軍事拠点としても重要な地域となっています。もちろん兵器だけでなくロシアの伝統的な茶器:サモワールやトゥーラ・アコーディオンの生産の中心地。

また、ロシアを代表する19世紀の文豪トルストイの出身地でもあります。

AKMとは

AKM 無可動実銃 全体

今回お譲りいただきましたAKMは、1949年に生産開始したAK-47の各種問題点を改善し、1959年から正式採用されたアサルトライフルです。AK-47のレシーバーは本来プレス加工として設計されましたが、技術不足により早々に切削加工のII型へと変更されました。

しかし1954年にはプレス加工で生産できる見通しになり、生産効率と軽量化を図ったAKMが開発され、1959年から配備されていきます。なお、AK-47の生産はイジェフスク機械精査工場が独占して生産していましたが、AKMからはトゥーラ造兵廠でも生産されるようになりました。

前項の通り伝統的な兵器生産拠点であるトゥーラ製のAKMは、壊れにくいなど評判だったようです。実際のよしあしはわかりませんが、イジェフスクには未熟なプレス加工で仕様変更を余儀なくされた前科があるわけですからねえ……。

AKM 無可動実銃 プレス部

レシーバー以外にもマガジンハウジング上部に発射時の衝撃を逃がす小判型のくぼみを追加。

AKM 無可動実銃 銃口

ハンマーリターダーの追加や銃口部を斜めにカットすることで銃炎を上方に逃がし、銃口の跳ね上がりを防ぎ命中精度を高める構造など、各所に工夫が施されています。

AKM 無可動実銃 ラグ
AKM 無可動実銃 マガジン

他にも銃剣用ラグの新設、グリップやマガジンへのベークライト素材の採用などもAKMから導入されました。こうした改良点はAK-47を実際に使用する兵士たちの意見も採り入れたもので、後継であるAK-74にも引き継がれていきました。

実際に無可動実銃を手にすることで、こうした工業製品としての工夫箇所のいくつかを実感できるのではないでしょうか。

くれいも屋では各種無可動実銃の買取をお待ちしております。無可動実銃は重量もあり梱包も大変ですので、数が多い場合にはご自宅までうかがう出張買取も対応しております。まずはお気軽にご連絡ください!

無可動実銃買取価格表